大乗仏教の欠陥!!空の体得法「成仏法」の欠如‼︎ 真の「三輪空」とはなにか!!
知識と智慧、知性・理性と霊性の違い。大脳生理学からの考察。超能力、霊性の場「間脳思考」を目指せ!! 空論 空には、3つの概念があります。その3つの概念を「三輪空」といいます。これは後期大乗仏教である密教が作り出した概念です。ですから、初期・中期の大乗仏教(法華経、浄土教、禅宗など)にはない概念です。この概念は、大変優れた概念なので、私が信仰している阿含宗でも取り入れています。しかし、密教の三輪空には、欠陥があるのです。この欠陥を補正しなければいけないと思います。そうすることで、完璧な三輪空ができ、その三輪空を体得、実践したとき、仏教の修行は完成するのです。以下、仏教史の流れに沿って書かせていただきたいと思います。 「三輪空」とは、以下の三つです。 ①「理空」 教学によって得られる空。空論の学問的理解によって得られる空。 ②「行空」 修行によって、空の実相を悟り得られる空。釈尊直説の唯一の経典・阿含経の、「成仏法・七科三十七道品」の実践によって得られる空。 ③「事空」 理空と行空を体得しても、いままで自分が犯した不徳からくる業報は残っている。この業報を消滅させる、滅罪生善の行によって得られる空。 したがって、この三つは、それぞれ別の概念なのです。ここのところが重要です。 まず、初期大乗仏教(法華経、浄土教など)なのですが、初期大乗仏教は、この点をまるで理解していないのです。どうしてそんなことがいえるのかといいますと、初期大乗仏教は、行空と事空、すなわち、「成仏法」と滅罪生善の行によって得られる空を捨ててしまったからです。 初期大乗仏教の龍樹菩薩は、 釈尊の「縁起の法」を受け継ぎ、理論としての「空論」を完成させました。これは大変画期的なことでした。 しかし、行空・事空は、説かなかったのです。それはなぜかと言いますと、行空・事空はすでに阿含経で説かれていたからです。行空は、阿含経の成仏法「七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうほん)」でしか体得できないことは説かれていましたし、事空も修行者として当たり前のことで、梵行(ぼんぎょう)・三福業道として多くの阿含経に書かれているのであらためて説くことはしませんでした。したがって、哲学的な「知識としての空論」すなわち理空は完成させましたが、行空・事空は説かなかったのです。 ところが、初期大乗仏教は、ここで大変な間