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1月, 2023の投稿を表示しています

阿含仏教による「死後の世界」 「霊」の存在と「輪廻転生」 仏教の真実 正法を知っていただくために!! 霊能力 超能力 スピリチュアル 占い 霊界

 大乗仏教の信者の方には、霊の存在、輪廻転生の真実について、あまり信じておられない方がいらっしゃると思います。それは、大乗経典で、あまり教えられていないからだと思いますが、釈尊直説の唯一の経典・阿含経には、しっかりと記述されています。二つの阿含経をご紹介します。  <雑阿含経 好戦経>  時に、十大弟子の一人、神通力第一位の聖者と呼ばれたモッガラーナ尊者とロクシュナ比丘が二人で托鉢に出掛けました。そうして托鉢をしている最中に、ある時、モッガラーナ尊者が意味深長な微笑を浮かべました。そこで、ロクシュナ比丘は、尋ねました。  「今なぜ、微笑したのですか?」モッガラーナ尊者は答えました。  「今は托鉢中である。帰ってから、仏陀の御前でお話する。」  そうして托鉢を終え、帰ってきて、仏陀にご挨拶をして、座に付きました。ロクシュナ比丘が先ほどのことを問いただしました。   「モッガラーナ尊者よ。あなたは先ほど、私と托鉢中に、意味深長に微笑されました。なぜあなたは、意味深長に微笑されたのですか?」  モッガラーナ尊者は答えました。  「我、路中において一大衆生の身を挙げて皮無く、もっぱら一の肉段にして空に乗じて行けるを見たり。(私は、道の上で、一人の大きな人間が、全身、皮がなく、のっぺらぼうの、肉のかたまりのようになって、虚空をフワフワと歩いて行くのを見たのだ。 要するに浮遊霊のことです。)  カラス、トビ、クマタカ、ワシ、ヤカン、イヌ、従って、獲食し、あるいは、脇肋よりその内臓をさぐりて取ってこれを食うに、苦痛切迫し啼哭号泣せり。(いろいろな動物たちがついてまわって、噛み付き、内蔵を食い、その苦痛で泣き叫んでいたのを見たのだ。)  私は、それを見て思ったのだ。なるほど、こういう人間は、こういう体になって、こういう苦しみを受けるのだ。そうだったのか。そう思って、私は思わず微笑したのだ。」  そこでお釈迦さまはおっしゃいました。  「よろしい。修行者たちよ。ただいまのモッガラーナの言ったことはその通りである。  わが弟子たちの中で、実相を見る眼を備え、実相を知る智慧を持ち、実在の意義をさとって、正しい仏法に通達したものは、みな、このような衆生(浮遊霊)を見るのである。  私もまた、このような衆生を見るのである。私が普段このようなことを説かないのは、信じないことを恐れるからである。

大乗仏教の陰謀!! 阿含経は、小乗経典ではない!! 釈尊直説の唯一の経典 慈悲を説く「阿含経」 在家の修行法も説く「阿含経」 正法を知っていただくために!!

 阿含経(あごんきょう)は、小乗仏教ではないのです。それは、大乗側が一方的に侮蔑して呼んだ貶称(へんしょう)なのです。大乗側の陰謀です。全くのでっち上げなのです。現代仏教学では、阿含経が、小乗経典ではなく、大乗経典であることが証明されています。また、阿含経は、大乗仏教が言うように、出家仏教でもなく、在家の修行法がきちんと説かれているのです。以下、現代仏教学の見地から、学問的に検証してみたいと思います。  現代仏教学では、大乗仏教がすべて釈尊直説の経典ではなく、偽経であることがわかっています。詳しくは、私の他の投稿をご覧ください。釈尊入寂後、500年ほど経過した頃、教団が分裂して出て行った大乗側が、勝手に言い出した小乗という言葉に、何の価値も無いのです。理論的に根拠があるならまだしも、全くなんの学問的根拠も無い用語なのです。これは、原始仏教に対する冒涜行為なのです。  また、現代では、小乗という言葉は、使わないことになっています。  ウィキペディアからです。   「世界仏教徒の交流が深まった近代以降には、相互尊重の立場から批判が強まり、徐々に使われなくなった。1950年6月、世界仏教徒連盟の主催する第一回世界仏教徒会議がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議されている。」  したがって、いまだに小乗などという言葉を使用している人は、学問的無知ということになります。学者でも、いまだに平気で使っている人がいますが、知らないということは、恐ろしいことです。  阿含仏教は、現代仏教学では、「原始仏教」あるいは、「根本仏教」と呼ばれているのです。    阿含経が、自己の悟りだけを目指す、慈悲心の足りない、小乗経典ではなく、大乗経典であることは、阿含経を読んでみれば、誰にでもすぐにわかります。  阿含経が大乗経典であるという証拠の経典を、いくつかご紹介します。 まず、最初は、    慈しみ(スッタニパータ 1章8) です。  「究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべき事は、次のとおりである。   能力あり、直く、正しく、言葉優しく、柔和で、思い上がることの無い者であらねばならぬ。   足ることを知り、わずかな食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の家で貪ぼる事が無い。   他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはな

阿含経の信憑性 信頼できるパーリ語アーガマ(阿含経) 釈尊直説の唯一の経典!!

 近年、阿含経の信憑性について、疑念を抱く方々が増えていますが、その誤りについて、書かせていただきたいと思います。  確かに、漢訳の阿含経には、後世作られた偽経が混じっています。しかし、パーリ語のアーガマは、非常に信憑性が高いのです。  阿含経の成立時期は、釈尊入寂後、すぐに経典編纂会議(第一結集)が500人の阿羅漢たち(五百羅漢)によって、招集されているのです。そのころから、すでに始まっているのです。それが口頭で、伝授されていったのですが、この口頭伝授は、非常に正確なのです。最も信頼できるパーリー語の阿含経の書物での成立時期が、5世紀ごろだということで、信憑性を疑う人達がいますが、文字になっていなくても、それ以前から阿含経の継承は、とても正確なものだったのです。  当時の僧侶は、経典暗記が修行のひとつでした。それはとても正確なものなのでした。記憶しやすいようにいろいろな工夫がなされ、多くの修行者が、一緒に暗記しますので、正確であり、自分だけ変えることはできないのです。   詳しいことは、日本テーラワーダ仏教協会の、  ☆特別連載 最新の仏教研究で解き明かすパーリ三蔵の成立過程 パーリ聖典の源流 (釈尊の言葉は失われたのか?) 藤本 晃(慈照)文学博士・誓教寺住職 をご覧になってみて下さい。詳しく解説されています。  http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta1.html  したがって、パーリ語の阿含経は、とても信頼性があります。特に、上座部の南西インド、スリランカのパーリ語アーガマは、極めて信憑性が高いのです。改変混入がほとんどないのです。また、近年出版された、国際版パーリ阿含経は、世界のパーリー語の経典を、比較検討していますので、非常に信憑性が高いと思われます。また、上記をご覧になれば、阿羅漢が、解脱者であり、仏陀と同意語だということもわかります。悟りを完全に開いた、完成者である阿羅漢が、500人経典編集の会議のために招集されているのです。したがって、阿羅漢=仏陀であることがわかります。阿含経が、小乗経典でないことがわかります。  正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。合掌

法華経の虚偽② 法華経最大の欠陥!!  「大乗の涅槃」と「小乗の涅槃」の違いが書かれていない!!  それが書かれた経典「勝鬘経」!! 正法を知っていただくために!!

 大乗仏教の虚偽!! 法華経の虚偽② 法華経最大の欠陥!!  「大乗の涅槃」と「小乗の涅槃」の違いが書かれていない!!  それが書かれた経典「勝鬘経」!! 正法を知っていただくために!!  法華経の信者の方には、大変驚かれることと存じますが、正法を知っていただくために、書かせていただきたいと思います。  法華経には、教義上、欠陥があります。その教義上の最大の欠点について、 書かせていただきたいと思います。     法華経では、阿含経(あごんきょう)の涅槃は方便であって、小乗の涅槃であり、「小乗の涅槃(ねはん)」と「大乗の涅槃」とは違い、小乗の涅槃は、未だ完全ではない、大乗の涅槃に劣る、と説かれています。 ところが、それでは、小乗の涅槃と大乗の涅槃が、いったいどのように違うのかと言いますと、この説明が法華経には無いのです。   これでは、明らかに説明不足で、致命的な欠陥です。理論的な根拠もなく、ただ言うだけなら誰にでもできます。理論的根拠がなければ、お話にならないと思います。    また、さらに疑問が出てきます。阿含経の涅槃が小乗の涅槃であり、阿含経で仏として説かれている阿羅漢(アラカン)が、小乗の仏であり、大乗の仏に劣り、さらに菩薩にも劣るとすると、それでは、どのように劣るのか、その説明も無いのです。  阿含経では、全ての煩悩を断滅し、ブッダと等正覚とされている阿羅漢が、実は方便であり、小乗の仏であって、ブッダそのものではないとすると、阿羅漢には、いまだ消滅しきれていない煩悩が残っているはずです。ところが、法華経には、その煩悩についての、記述も無いのです。これでは、完全に説明不足です。       それでは、他の大乗経典に、これらの違いについて、きちんと説明した経典はないのでしょうか?実は、きちんとあるのです。勝鬘経(しょうまんぎょう)です。勝鬘経では、「小乗の涅槃」と「大乗の涅槃」、阿羅漢の煩悩について、きちんと説明しているのです。勝鬘経は、1世紀ごろ作られた法華経のあと、さらに200年ほど経ってから作られました。 法華経は、初期大乗経典ですが、 勝鬘経は、中期大乗経典です。現代仏教学では、勝鬘経は、法華経の欠陥を補う経典として、大変重要視されているのです。  勝鬘経では、小乗の涅槃と大乗の涅槃を、  生死の違い、  煩悩の切れ方(残り方)の違い、  修行法の違い

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