法華経の虚偽② 法華経最大の欠陥!! 「大乗の涅槃」と「小乗の涅槃」の違いが書かれていない!! それが書かれた経典「勝鬘経」!! 正法を知っていただくために!!
大乗仏教の虚偽!! 法華経の虚偽② 法華経最大の欠陥!!
「大乗の涅槃」と「小乗の涅槃」の違いが書かれていない!!
それが書かれた経典「勝鬘経」!! 正法を知っていただくために!!
法華経の信者の方には、大変驚かれることと存じますが、正法を知っていただくために、書かせていただきたいと思います。
法華経には、教義上、欠陥があります。その教義上の最大の欠点について、 書かせていただきたいと思います。
法華経では、阿含経(あごんきょう)の涅槃は方便であって、小乗の涅槃であり、「小乗の涅槃(ねはん)」と「大乗の涅槃」とは違い、小乗の涅槃は、未だ完全ではない、大乗の涅槃に劣る、と説かれています。 ところが、それでは、小乗の涅槃と大乗の涅槃が、いったいどのように違うのかと言いますと、この説明が法華経には無いのです。 これでは、明らかに説明不足で、致命的な欠陥です。理論的な根拠もなく、ただ言うだけなら誰にでもできます。理論的根拠がなければ、お話にならないと思います。
また、さらに疑問が出てきます。阿含経の涅槃が小乗の涅槃であり、阿含経で仏として説かれている阿羅漢(アラカン)が、小乗の仏であり、大乗の仏に劣り、さらに菩薩にも劣るとすると、それでは、どのように劣るのか、その説明も無いのです。
阿含経では、全ての煩悩を断滅し、ブッダと等正覚とされている阿羅漢が、実は方便であり、小乗の仏であって、ブッダそのものではないとすると、阿羅漢には、いまだ消滅しきれていない煩悩が残っているはずです。ところが、法華経には、その煩悩についての、記述も無いのです。これでは、完全に説明不足です。
それでは、他の大乗経典に、これらの違いについて、きちんと説明した経典はないのでしょうか?実は、きちんとあるのです。勝鬘経(しょうまんぎょう)です。勝鬘経では、「小乗の涅槃」と「大乗の涅槃」、阿羅漢の煩悩について、きちんと説明しているのです。勝鬘経は、1世紀ごろ作られた法華経のあと、さらに200年ほど経ってから作られました。 法華経は、初期大乗経典ですが、 勝鬘経は、中期大乗経典です。現代仏教学では、勝鬘経は、法華経の欠陥を補う経典として、大変重要視されているのです。
勝鬘経では、小乗の涅槃と大乗の涅槃を、
生死の違い、
煩悩の切れ方(残り方)の違い、
修行法の違い、
によって説明しています。
生死には、分段生死(ぶんだんしょうじ)と不思議変易生死(へんにゃくしょうじ)の二種類があると説きます。
また、阿羅漢の煩悩については、煩悩障と所知障(しょちしょう)という、2つの煩悩を設定します。
さらには、生空智(しょうくうち)と法空智という成仏法としての、2つの観行の修行法までも説きます。
そうして、大まかに書きますと、次のように説明しているのです。解脱涅槃を妨げる煩悩に、煩悩障と所知障がある。阿含経の阿羅漢は、小乗の仏であり、生空智の観行をもって、煩悩障を断ずることはできたが、まだ、大乗の法空智の観行をもって所知障を断ずることができていない。したがって、煩悩障の結果である分断生死は離れてしまっているけれども、所知障の結果である微妙不可思議なる変易生死は、いまだ離れていない。変易生死を解決することのできるのは、大乗の仏、如来に限るのだ、と説く訳です。
これで一応、法華経の補足はできます。しかし、これも、当然のことながら、あとから作り上げた虚偽の理論であって、釈尊直説の教えではないことは明白です。3世紀ごろ作られたのですから。それにしても、よくこんなでっち上げの用語、理論を創り出せると感心してしまいますが、彼ら、大乗経典の製作者たちは、それが、仏道にかなうと信じ込んでいたのでしょう。しかし、これは、明らかに原始仏教に対する冒涜行為です。
大体、この勝鬘経の理論にも欠陥があるのです。それは、生空智と法空智という成仏法の観行の実際の修行方法が書かれていないという点です。そういう修行法があると書かれているだけであって、実際のやり方は、なにも書かれていないのです。これでは、全くお話しになりません。言い訳の為の言い訳であって、結局、法華経の欠陥を補いきれていないのです。
それにです。更におかしなことがあります。それは、法華経との矛盾点が出て来たことです。
法華経では、修行は不要と説かれているのです。「法華経を聞くだけ」で成仏できると書かれているのです。なんと安直な成仏法かと思いますが、本当に書かれているのです。
法華経には、修行が不要ということは、いろいろなところで書かれていますが、代表的なものは、分別功徳品第17です。ここでは、衆生が、寿量品第16を「聞くだけ」で、無生法忍を得たと書かれています。五種法師、十種供養の菩薩たちは、阿耨多羅三藐三菩提を得たと書かれています。
これでは、つじつまが合いません。勝鬘経では、生空智と法空智の成仏法である観行を修行しないと大乗の涅槃は得られないと書かれているのですから。
結局、法華経の理論的欠陥を補おうとして、補いきれず、さらに矛盾点を露呈してしまったというところでしょう。どちらも、後世の偽経であるという証拠です。
阿含経をおとしいれるため、小乗仏教というものを作り出し、小乗の涅槃というものを作り出しましたが、結局、理論的に偽装工作しきれずに、逆に、矛盾点を露呈してしまったわけです。大乗仏教は、阿含経を方便として、小乗とけなし、なんとか阿含経に書かれた唯一の成仏法「七科三十七道品」(しちかさんじゅうしちどうほん)を避けて、簡単に成仏する方法を他に作り出そうとしましたが、阿含経には、当然全て先に書かれていますので、それを全否定して、阿含経を方便とし、小乗としても、 理論上、どうしても偽装工作がうまくいかなかったわけです。偽装工作には、なん百年もの多大な時間が掛かり、しかも、先に作った偽装が、あとから作る偽装と矛盾することになってしまい、どうしてもつじつまが合わなくなってしまったのです。時代の要請にもよります。大体、大乗仏教は、次から次にいろんな用語、理論を作り上げ、大乗仏教同士で、矛盾点が噴出し、収拾しきれない状態におちいっているのです。 いずれにせよ、悪は、いつか必ず露見します。
話は戻りますが、空を体得するための観行は、阿含経の七科三十七道品の中に書かれているのです。大乗仏教は、早くこの点に、気付くべきです。そうでないと、近い将来必ずや、社会問題となります。
信者の方には、いままで信じてこられて、まさに青天の霹靂のことと存知ますが、大乗仏教にだまされないで下さい。大学などでは、ずいぶんと前から、「大乗非仏説」がきちんと教えられているのです。五時教判も、現代仏教学では、完全に否定されています。勝鬘経より劣る法華経が、最高の経典であるはずがないのです。大乗仏教は、経典が全て釈尊の直説であると信じ込まされていたので、上記のような時代背景を考慮せず、経典判釈をしてしまったのです。大体、法華経は、上記のように、初期大乗経典です。理論的には、まだまだ未成熟なのです。現代仏教学を学ばれることをおすすめします。
私の他の投稿もご覧になって見てください。以上、「阿含密教いま」を参照しました。真の成仏法については、阿含宗のホームページをご覧ください。
http://www.agon.org/
正法に気付いていただくため、参考になれば幸いです。合掌