驚愕の事実!!法華経の虚偽①!!その偽装工作!!法華経は、釈尊直説の経典ではない!!正法を知っていただくために!!仏教 密教 神道 ヨガ
信者の方には、大変驚かれることと存じますが、正法を知っていただくために、書かせていただきたいと思います。
法華経は、釈尊直説の経典ではないのです。法華経信者の方々は、五時教判をもとに、第5時の法華涅槃時で、釈尊は、ようやく最高の教えを説かれたと教育されていらっしゃると思います。しかし、それは真っ赤な嘘なのです。五時教判は、現代仏教学では、完全に否定されている教義なのです。
大乗仏教自体が発生したのは、釈尊入寂後、100年ほど経って教団内部が分裂(根本二大分裂)した後なのです。その時、上座部(長老部)と大衆部に分かれ、大衆部が教団から出て行ったのですが、その大衆部が、後の大乗仏教となったのです。このとき、大衆部は一切の持ち出しを禁じられ、釈尊直説の唯一の経典・阿含経も持ち出すことはできませんでした。そこで大衆部は、上座部に対抗する、自分たち独自の教義を作り出すために、独断で勝手に経典を作り始めたのです。しかも、すべての経典を釈尊直説という設定にし、さらには、自分たちは大乗であり、阿含経は、小乗だという設定にしたのです。それらの経典群が、大乗経典群なのです。法華経は、分裂後更に、500年ほど経ってから、つまり、1世紀ごろに作られたものです。したがって、法華経は、釈尊直説の経典ではありません。
信者の方で、よく、法華経は、時空を超越して説かれたお経だ、と言われる方がいますが、それならそうと言わなければなりません。きちんと、法華経は、時空を超越して書かれたお経で、釈尊直説の経典ではないと、言わなければいけません。 法華経が、創作経典だということは、創価大学の菅野博史先生も認めています。
「『法華経』は釈尊の臨終直前の説法という設定であるから、霊鷲山を説法の場所として選んだのである。もちろん、ここに本経に列挙されるような膨大な数の人が集まれるはずはないので、大乗経典が創作であることを自ら明かしているともいえよう。」
『法華経入門』『法華経の出現』(大蔵出版)菅野博史創価大学教授より。「原始経典(小乗経典)が原則的には歴史上の釈尊(ゴータマ・ブッダ。紀元前5世紀~4世紀、または6世紀~5世紀)によって説かれ、弟子たちによって伝承されてきたものであるのに対して、大乗経典の成立の事情は大いに異なっています。というのは、大乗経典には伝承の部分が不明であり、有り体にいえば、新しい仏教運動の担い手たちの創作にかかると推定されます。このことは大乗非仏説といわれるもので、日本では富永仲基や平田篤胤によって早くも江戸時代に主張されたことでしたが、明治中期に改めてヨーロッパの仏教学から学んだ歴史的知識として、現在では広く認められる考えです。」
菅野先生は、だがしかし、法華経は、釈尊の思想を受け継いでいると言われます。法華経は、時空を超えて、釈尊の教えを受け継いでいるのだと主張します。しかし、それは、全くの誤りです。なぜなら、法華経は、釈尊直説の唯一の経典、「阿含経」をおとしいれるために、数々の偽装工作をしているからです(阿含経を小乗だとけなすことからしてそうです)。したがって、釈尊の教えをそのまま忠実に受け継いでいるとは、到底言えません。
まず、そもそも一仏乗、菩薩乗が真っ赤な嘘なのです。菩薩という言葉は、阿含経では、単に、修行者というほどの意味しかなく、特別な用語ではなかったのです。それを大乗仏教は、阿含経の仏陀である阿羅漢の上に位置づけたのです。阿含経をおとしいれるためです。しかし、現代仏教学では、阿羅漢は、仏陀そのものであって、菩薩の下ではないということがわかっています。すべて、大乗仏教の虚偽なのです。
「小乗の仏」とか、「小乗の涅槃」とか、「小乗の空」とか、実に壮大な理論を構築しましたが、それらすべてが、後世の大乗仏教の陰謀、偽装工作であることが、現代仏教学ではわかっています。
○阿羅漢については、こちらを参照下さい。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1051472660
○小乗の涅槃の虚偽については、こちらを参照下さい。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1069798635
○小乗の空の虚偽については、こちらを参照下さい。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1270716957
さらに、法華経の方便品第2、譬喩品第3、信解品第4などには、釈尊の阿羅漢の直弟子たちが登場して、自分の悟りが未だ小乗の悟りであり、低い悟りであったことを告白していますが、全て、偽作です。600年も経ってから、釈尊の直弟子たちを登場させ、嘘を語らせるという大偽装工作をおこなっているのです。正法をおとしいれるという、まさに堕地獄の行いです。仏教に小乗の悟りなどというものは、まったく存在しないのであって、阿羅漢は、仏陀そのものであることが、現代仏教学では、証明されています。(ちなみに、現在では、小乗仏教という言葉は使わないことが、世界仏教者会議で決議されています。知らない方は、学問的無知ということになります。)日蓮上人は、法華経が、釈尊直説でないとは、まったく知らなかったのです。そこのところを、現代において、ごまかしてはいけません。それは、無量義経についても同様です。無量義経は、中国で作られた偽経なのです。こちらを参照してください。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1369300723
仏教学最高権威で在らせられた東大名誉教授 故中村元先生の文章を引用させていただきます。「仏教経典散策」というご著書の「大乗経典」からです。
「伝統的保守的仏教の聖典が比較的に相似た趣旨または性格のものとしてまとまっているのに対して、大乗仏教の聖典は多様多岐であり、しかも西紀1世紀から10世紀頃に至る非常に長い年月にわたって作られたものである。「仏説」と称する伝統的保守的仏教の聖典で、パーリ語で伝えられた聖典は仏陀ゴーサ以前に、またそれに対応する漢訳経典や律蔵に基づいたサンスクリット原本も4世紀には確定していたと考えられるが、大乗仏教は自由な思想表現をゆるしたために、仏説と称する経典のたぐいがインドで次から次へと限りなく作られ、また中国でも新たに作られた。(中国で作られた経典類をしばしば「偽経」と呼ぶが、歴史的人物である釈尊が説いたものであるかどうかということになると、少なくとも大乗経典は全部「偽経」であるということになる。)」
釈尊は、なんとこうなることを、予言されていました。釈尊直説の唯一の経典、阿含経にこう予言されているのです。
『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典(阿含経のこと)は 深遠であって意義が深く、 出世間のものであり、 空と相応しているものであるが、 それらが説かれるときに、かれらはよく聞こうとしないし、 耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。 それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって作られ、 詩文調であり、 文辞麗しい諸経典は、 外道に由来するものであり、 弟子たちの説いたものであるが、 それらが説かれるときに、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。 それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
かくのごとくにして、如来の説かれた、 深遠にして意義が深く、 出世間のものであり、 空と相応している諸経典(阿含経)は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。 ―――
「如来の説かれた深遠にして意義が深く、 出世間のものであり、 空と相応している諸経典(阿含経)が説かれる時に、 われらは、よく聞くことにしよう。 耳を傾け、了解しようとする心を起こそう。 それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう。」と。』 ( 中村元「原始仏教の思想」)
文芸人によって作られ、詩文調であり、文辞麗しく、外道(げどう、他の宗教)に由来し、弟子たちによって説かれた、とあります。大乗経典は、ほとんどが、他の宗教からの流入なのです。 見事に大乗経典を予言しています。
また、法華経には、最大の弱点があります。 それは、来世成仏だということです。 「法華経 方便品第二偈」 にこうあります。
「仏子の心清く 柔軟にまた利根にして無量の諸仏のために 深妙の道を行ずる有り此諸の仏子の為に この大乗経を説く我是の如きの人 来生に仏道を成ずることを記す」
したがって、法華経は、来世成仏です。それでは来世、どうやって成仏するのでしょうか?法華経には、その点が書かれていないのです。これは、浄土教なども同じです。来世成仏なのは良いとしても、いったいどうやって来世、成仏するのか不明なのです。
大乗仏教は、菩薩の十地などがありますが、成仏するまでの経過が明確でなく、いきなり悟りを開き成仏するような頓悟説を唱えますが、これは偽作です。阿含経には、きちんと成仏するまでの経過などが書かれており、次第に成仏する漸悟説が唱えられているのです。
詳しくは、当ブログのこちらの記事をご覧ください。
「仏教徒の悟りの第一目標は、シュダオンの聖者に成ることである!!正法・阿含経の「四沙門果」の論理!!聖者のオーラとは!!大乗仏教の虚偽!!悟りに至るまでの具体的説明が無い!!」
さらに、言わせていただきますと、そもそも「偶像崇拝」自体が釈尊の教えではないのです。欧米では、偶像崇拝は忌み嫌われますが、釈尊は、観音様や阿弥陀様、大日様など、偶像を崇拝すべきようなことは一切おっしゃられていませんので、偶像崇拝は、後世の大乗仏教が行った、異宗教からの流入だということがわかります。
詳しくは当ブログのこちらの記事をご覧ください。
「大乗仏教の虚偽!! 偶像崇拝は、釈尊の教えではない!! 仏教徒ならば、第一本尊は、釈迦如来とすべき!! 大乗仏教の仏は、全て他宗教からの流入などである!!」
大乗仏教徒のかたには、大変驚かれたことと存じますが、日本には、間違った仏教が伝わってしまったのです。どうか、大乗仏教にだまされないで下さい。真の仏教に目覚めて下さい。現代仏教学を学ばれて下さい。大乗非仏説は、全世界の、現代仏教学の定説なのです。全世界の大学でもきちんと教えられています。(大乗仏教徒の方は、大学で学んで、真実に気付かされることが多いそうです。)
駒沢大学 大野達之助 教授の 「日本仏教思想史」から、引用させて頂きます。
「従って今日から見れば、諸宗派の教義は、釈尊の仏教とは直接何ら関係もない哲学思想に過ぎないのであるが、遺憾ながら、この最も重大な問題には、各宗とも目をおおって、根本的解決を図ろうとしていない。 愚見を以てすれば、各宗が、釈尊の仏法を相承していると主張するためには、成立の最も古いパーリ経典(阿含経のこと)について、歴史的にも内容的にも間違いのない釈尊の教法を求め、その教法と自宗の教義との同一性を立証しなければならないと思う。各宗とも共通の課題として、大勇猛心をもってこの道に進んでこそ、真の仏恩報謝ともなり、また現代における仏教の存在価値を確立する所以でもあろう。」
大乗仏教は、速やかに教義の修正を行うべきです。そうしないと近い将来、必ずや大きな社会問題となるでしょう。釈尊直説の唯一の経典である阿含経を取り入れることを是非お薦めします。そうでなければ、今後、仏教として成立していくことは不可能ではないかと思われます。
以上、「阿含密教いま」を参照しました。正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。
合掌